自分に対していくらでも純粋になれると思うのです。
人の中に光と闇がもれなくあって(陰陽で表現してもOK)
自分の中の光に対しても闇に対しても
とことん純粋でいていいのだなと思うのです。
誰かに急に肩を叩かれ痛かった。
1.叩き返す。若しくは怒鳴る
2.黙って我慢
3.痛かった、それはやめて欲しいと伝える
肩を叩いた相手に悪気があったかどうかは関係なく
どれを選択してもOKなのです。
そしてその選択の責任は、選択した人にあります。
それを相手がどう捉えるか、どう対応するかは
相手の自由(責任)になります。
1を選択したらどうなるだろう
2ならどうか、3なら?
自分ならどうしたい?
痛かった、やめて欲しいという事を伝えたい
なら1か3のどちらで伝えたいだろう
どちらでもOKですね。
そう言えば以前こんな投稿してました。
昔メンタルダウンした時に、復職の為のリハビリ施設で
繰り返し読んでいた本
田中ウルヴェ京氏のストレスコーピングの本と
平木典子氏のアサーションの本でした。
今でも僕の核の一部になってくれています。
今日は、とても素晴らしいお仕事をされている講師の方と
FBのコメントでお話できて、湧き上がってきたので
改めて自分の中のアサーションに関して振り返ってみました。
ありがとうございます。