いじめを動きと構図で考えてみる

いじめというものを、敢えて感情面を排し

物理的(でいいのかな?)動きと

構図(でいいのかな?)で考察してみる。

例えば(例図)

○○○   ○○○

○○● → ○○      ●

(白黒の色は単にわかりやすくするための意図)

この動きや構図は我々の日常に溢れてて

誰しもがその動きの中で何らかの役割を

果たしている。

例えば

・数あるラーメン屋から、食べに行くお店を選ぶ

・参加しているコミュニティが合わないので脱退する

好きな事、行きたいお店を選んでいる、

それでも例図と同じ動きが発生している。

動きを認識し、変化させること

何らかの解消の可能性があるかもしれない。

では、その動きや構図を変化させるとは

具体的にはどういう事か?

例としては

・30人とかで区切られたクラスの廃止

・時間割を見て、必要な(受けたい)授業を

している教室へ行く

こう言った感じの事。

分母を増やして作用する力の量を変えている

これなのかもしれませんが。

僕は教員ではないので、実際の学校という

現場で実現できる事なのかわからないのだけど

あくまで動き、構図を変えるという発想だけで

書いてみました。

これが正しくて、これをすべきだ、と言いたいのでは

ありません。

 

いじめられる側、いじめる側の両方の経験がある

そんな僕が、もしかしたらヒントの一欠片になるかもしれない

そう思って書いてみました。

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そうなるとやっぱり、居場所があること

ここがとても大切だなぁと感じるのでした。

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